ぜひ、あなたにも読んでもらいたい

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 高野孟のTHE JOURNAL
      なぜ裸足で田んぼに入ると頭がよくなるのか?


 今年も田植えの季節がやってきた。私はかれこれ20年ほど、南房総・
鴨川市の里山で、自分らで食べる米は自分らで植えて自分らで刈るとい
うことを実践してきて、それこそが暮らしの安心の根本であると確信し
ている。大都会では、金さえあれば何でも手に入って便利なことこの上
ないけれども、ひとたび災害に襲われれば、大規模供給・流通システム
が麻痺して、いくら金があっても、米どころか水さえも手に入らない。
我が家は、水も森の中の水源から延々300 メートルもパイプを敷いて浄
化してタンクに貯めて上水として使っているので、多少、粘土の微小な
粒子が残って濁るし、パイプや浄化装置やタンクのメンテナンスに手間
はかかるけれども、自前の水源を持っていることの安心感には代えがた
い。大規模システムに出来るだけ頼らない、米を真ん中に置いた等身大
の暮らし方を追求することが、21世紀的だと思っている。

●私の米作り

 私自身の田んぼとの関わりとしては、NPO 大山千枚田保存会の理事と
して、広報事業や、棚田会員たちの田植え作業を支援する活動などに携
わっている他、家族として釜沼北の棚田クラブの会員となって年間を通
じて孫一家や知人らと共に田植え・稲刈りを楽しんでいる。

 大山千枚田は、鴨川市の山中の約4haの急傾斜地に大小375 枚の田が
広がる、それは見事な景観を持っていて、「首都圏からいちばん近い棚
田」としても知られている(写真 http://bit.ly/1SWK287 )。ここで
は、棚田の保全に賛同する都会人から年間3万円で会員を募って、棚田
オーナー(136 組)、棚田トラスト(56組)、自分らで育てた米を地元
酒蔵に委託してマイ酒を造る酒米オーナー(59組)などを運営している。
5月連休の前後には毎日数百人の会員たちが家族連れでやってきて田植
えをするので、その準備や当日の手助けで目の回る忙しさが続く。梅雨
時から夏にかけて田の草取りや畦の草刈りなどの作業があって、9月の
稲刈りにはまた連日数百人が押し寄せる。

 他方、釜沼北の棚田クラブは、大山千枚田の言わば支部で、2532平米
(2.6反=766坪)、7枚の小棚田で25組の会員を募集し、村の80歳代後
半の長老3人の指導で共同で米作りをする。大山千枚田は大人気で、な
かなか空きが出ないので、どうしてもこの近辺で田んぼをやりたい人は
こうした近隣の小棚田のクラブに参加することになる。2500平米を25組
ということは1組当たり100 平米≒1畝≒30坪で、収穫は年によって違
うが、1組当たり45~50キロ弱となる。

 また、千枚田よりさらに奥にある「鴨川自然王国」では、私が早稲田
大学でゼミをやっていた頃には学生たちに半ば必修で田植え・稲刈りを
やらせていた。今もそのOB・OGたちや、社会人ゼミの学生などがその伝
統を引き継いでいる。

●田植えの喜び

 田植えの時に私が若い人たちに言うのは、「裸足で田んぼに入れ」と
いうことである。ふつう都会人の皆さんにはゴム底の「田植え足袋」を
履いて足裏を保護するようにして貰うのだが、実はそれでは田植えの面
白みは半減する。

 この辺りの田んぼの土は独特の重粘土質で、水を張った田に足を踏み
入れると、足先は踝の上までヌルヌルズルズルと潜って、水が膝上10セ
ンチくらいまで来てしまう。次の一歩を踏み出すのは簡単ではなく、腹
筋に力を入れて体のバランスを確保しながら、足首を真っ直ぐに伸ばし
て踵の先から騙し騙しスーッと抜かないと上手く抜けない。毎年必ず、
それに耐えきれずにバッシャーンと尻餅をついて、せっかく植えた苗を
台無しにする奴がいる。

 しかし慣れてくれば、5月といえども水はまだかなり冷たいけれども
その底の土はほんのりと温もりがあり、何とも言えず親しみのある感触
であることが足裏で感じられるようになる。その温もりや親しみは何か
と言えば、生命の源である「土」の神秘のパワーである。

 私が尊敬する山形県長井市の養鶏農家の菅野芳秀は、よく小学生に話
をする時にこんな風に「土に寄せる百姓のロマン」を語る。

「私の右手には土、左手には砂がある。土は軟らかいし、香りがある。
砂は硬く、香りがない。土には砂にないぬくもりがある。土と砂を分け
ているものは、植物や動物たちの遺体が含まれているかどうかなんだ。
そう、土は今までこの地で生きていたものたちの遺体の集合体なんだ」

「岩に最初に棲みついたのはコケのようなもので、それが朽ちて少しの
土が出来て、その何千回、何万回の繰り返しのなかからやがて草や木が
でき、動物たちが生まれては次々に遺体となって土に還った。タヌキも
いた、カモシカもいた、森に野草取りに行って行方不明になった婆さん
もいただろう。数十センチという土の層は、数万年、数億年という歳月
をかけた、生きていたものたちの集積なのだ」

 かつて生きたもののすべてが微生物の働きで分解され、朽ちて、土と
なる。一握りの土には10億匹もの微生物が生きていて、彼らが数万年、
数億年を経たかつて生きたものたちの遺産の現役の継承者である。だか
ら土は命の源であり、足裏に感じるのはその温もりなのだ。

★菅野芳秀ブログ: http://samidare.jp/kakinotane/
★同主著:『生ゴミはよみがえる』(講談社)
http://amzn.to/1NgdQKz
『玉子と土といのちと』(創森社)
http://amzn.to/1NgdWlD

●足裏感覚の喪失

 土の生命力を感受するにはいろいろな方法があるだろうが、私は足裏
が一番だと思う。

 人類の祖先が約500 万年前になぜ直立二本足歩行を始めてヒトになっ
たのかの理由はよく分かっていないようだが、ともかくもそれ以来ずっ
と我々は足裏で土と接して、地面に踏ん張って生きてきた。

「人間だけが足の裏を持つ。立つことはすべての動作の基本であり根源
である」と、平沢彌一郎は言う。だから「98%の子どもは健康な足で生
まれてくる」のだが、残念なことに「60%の大人は足に障害を持ってい
る」と、清水昌一は嘆く。

 ベアフットランという、素足に近い平らな極薄の靴で走る長距離ラン
ニングのスタイルがあって、その宣教者である四角大輔という人がこう
言っている。

「人類の歴史の大半は裸足だ。人間の体は裸足で走るように出来ている。
靴の過剰なサポート機能は、ぼくらの足と体を弱体化させ“不自然な状
態”にしてしまったのだ。これは、自然から切り離され、太古の感覚を
失っている現代人の病理にも似ているように思う」(13年10月5日付朝
日)

 同じ頃の別の新聞にも「かけっこに中年からでも速くなるには、足の
運びを裸足で練習するのがよい」という記事が載っていた。

「現代人はクッション性の高い靴に慣れて体本来の機能が衰えている。
裸足になることで、走るときの衝撃吸収機能などを体が取り戻し、けが
を防げる場合がある」(13年10月12日付日経)。

 そこで重要なのは、「足は、手と同様、運動器官であると同時に感覚
器官」であることである。「大地を裸足で踏んだときの触覚・圧覚など
は、足の皮膚・筋肉・腱などにある感覚の受容器をとおして中枢神経に
伝えられ、この情報は大脳の運動野からの調整の再命令として足の筋肉
に送られて、足の運動はうまく続けられる」という、近藤四郎が主張す
る足裏と脳との連動性である。

 足裏は脳と連動する。しかし手の平もまた感覚器官であるから、手で
土を感じるのも悪くない。あるいは、泥浴びに飛び込んで全身で土を受
け止めるのも、もちろんいいだろう(写真 http://bit.ly/1O8suOW )。

★平沢彌一郎『足の裏は語る』 (筑摩書房)
http://amzn.to/1Nge30j
★清水昌一『歩くこと、足、そして靴』 (風濤社)
http://amzn.to/1Z1dnN3
★近藤四郎『足のはたらきと子どもの成長』(築地書館)
http://amzn.to/1Z1dmIM

●そも動物は腸である

 そこでもう一歩踏み込んでみたいのは、足裏は大脳運動野と連動する
だけではなくて、むしろ全内臓、とりわけ腸と、より強く連動するとい
うことである。

 東洋医学では、足裏は体の全部位に繋がるツボが集中する、言わば全
身センサーで、どこのツボがどの内臓に刺激を届かせるかについての詳
細な体系を持っている(写真 http://bit.ly/1O8suOW )。西欧医学か
らすれば、それは単なる神秘主義で科学的に実証されていないと見える
のだろうが、しかし、西洋医学が解明・処方できる領域は実はかなり限
られていて、東洋医学の数千年に及ぶ集団的叡智の蓄積のほうが勝る場
合もある。

 東京医科歯科大名誉教授の藤田紘一郎は「脳よりも腸のほうが賢い」
と言う。

「『腸は第2の脳』といわれるが、腸の思考力は脳より上だ。人間の腸
には大脳に匹敵するほどの数の神経細胞があり、それは脳の祖先が腸か
ら始まったことに起因している。……脳は食べ物が安全かどうかは判断
できないが、腸にはそれができる。食中毒菌が混入した食物でも、脳は
食べなさいとシグナルを出す。しかし腸は菌が入ると激しい拒絶反応を
示す。食物が安全かそうでないかは腸の神経細胞が判断し、安全なもの
でないとすぐ吐き出したり下痢を起こしたりして、なるべく早く人間の
体を中毒させないように反応を起こす」

「また、腸は消化の目的だけで働くというのが一般的な考えだが、実際
には人間の感情や気持ちなどを決定する物質はほとんど腸で作られてい
る。腸の中で食べ物から人間に幸せと愛情をもたらすセロトニンやドー
パミンを合成している」

 脳は腸から始まったというのは、動物の進化の出発点とも言えるヒド
ラやイソギンチャクなど腔腸動物には脳がなく、腸が脳の役割まで果た
していたことを指す。脊椎動物が生まれる元となった脊索動物の代表格
の1つはホヤで(写真 http://bit.ly/1O8suOW )、この段階になると、
体全体が1個の腸のようではあるけれども、その周りにすでに心臓や脳
神経節や精巣・卵巣などの機能が発生している。このコダイホヤは単体
節で、それが何回かの遺伝子重複を繰り返して数珠つなぎの多体節とな
り、海底に固着することを止めて横になって口のある方向に前進してよ
り多くの餌を得ようとするようになると、先頭の鰓腸が前に突き出て
「顔」を形成し、またその多体節を支えるために脊椎が発生する。それ
がつまり「原始魚類」である。

 従って、その進化形としての高等生命体においても、根源的な器官は
腸である。西原克成によれば、「腸管の総体に心が宿り、財・名・色・
食・睡の欲の源が存在する。……哺乳動物では鰓腸に由来する器官が感
情と精神を表す。胸が高なる、うきうきする、胸をはずませる、胸躍ら
せる──と、肺と心臓の高鳴りで心の浮き立つ様を表す。陰の表現では
胸騒ぎ、胸かきむしる、胸が張り裂ける、胸苦しい、息苦しい、息が詰
まる、……として肺と心臓で心があえぐ悲しみの様を、顔の筋肉と眼と
鼻と声帯から涙と洟、声によって表現する。これらはすべて、鰓腸由来
の筋肉とその附属の器官である。心とは、五欲に発する感情で、うれし
い・悲しい・怒り等、内臓から発する情動のことで、胸と腹にこの心が
宿る」

 胸だけでなく、腹にまつわる感情・精神表現が多いのは日本語の特徴
で、腹が立つ、腹に据えかねる、腹が太い、腹を固める、腹が黒い、腹
を割る等々、辞書で引けば数十もの句が浮かび上がる。

「脳は腸から始まるにすぎないので、腸には従属的。腸の要求をなんと
か実現するようにしか脳は機能しない」

 この西原は、東大で解剖学・生命形態学の大御所=故三木成夫の教え
を受けた直弟子。このテーマに関心がある人は、是非、三木先生の著作
にも触れて頂きたい。 

★藤田紘一郎『脳はバカ、腸はかしこい』(三五館)
http://amzn.to/1Z1dtEl
★西原克成『内臓が生み出す心』(NHKブックス)
http://amzn.to/1NgeebZ
★三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)
http://amzn.to/1Z1dx71
『胎児の世界』(中公新書)
http://amzn.to/1Z1dA2G
『生命形態学序説』(うふすな書院)
http://amzn.to/1Z1dE2q

●脳に頼りすぎる弊害

 ずいぶん遠回りなような話をしているが、要するに、田んぼに裸足で
入った時に足裏で「気持ちいい~!」と感じるとすれば、それは大腸内
で「幸せ物質」であるセロトニンや「やる気物質」であるドーパミンが
合成されて、神経系を通じて脳に刺激が届いたということである。

 いま踏みしめている田んぼの土は何十億個という微生物の塊で、その
生命力を感じ取れるほど足裏センサーが敏感であれば、必ず大腸内に棲む
1000種類=100 兆個と言われる腸内細菌が反応を起こすということであ
る。

 どうも今どきの若い人たちは、「脳」に頼りすぎて小賢しくなって、
腹の底から湧いてくる動物的本能とか、止むに止まれぬ感情の爆発とか
に従って闇雲に行動することが少ない。ところがそれは実は、本当の意
味で脳を大事にしていることにならない。なぜなら、脳にもまた数億年
に及ぶ生物進化を反映して、

・爬虫類脳 =反射脳
・哺乳類原脳=情動脳
・新哺乳類脳=理性脳

 の3層構造になっていて(写真 http://bit.ly/1UqKKtz )、本来は
それら3つの脳がそれぞれに役割を発揮してこそ脳力が全開するのであ
るけれども、そうならずに「理性脳」ばかりを偏重して他の2つの脳を
退化させてしまっているのが、今日の文明の病である。

 米国の脳科学者=ポール・マクリーンは、理性脳の言語機能や論理的
思考に過大な期待を寄せて袋小路に陥ったのが現代であり、理性と感情
と本能の「三位一体脳」の復元によってそこから脱出すべきことを提唱
する。が、実際にどうすればそれが可能かについては語っていない。

 私に言わせれば、言語機能を持たない情動脳と反射脳を、言語機能を
持つ理性脳で考えて活性化させようとしても無理な話で、まずは足裏か
ら初めて内臓感覚を蘇らせて、そうすれば、腸から沸き起こる様々な
「心」が余り使われずに錆び付いていた2つの非言語的な脳を揺り動か
すのではないかと思う。

★ポール・D・マクリーン『三つの脳の進化』(工作舎)
http://amzn.to/1Ngeurr

●インテリジェンスの三角形

 頭がいいということはどういうことか。私は、「インテリジェンス」
を身につけることだと思っている。インテリジェンスは、さし当たりは
「知性」とか「知恵」とか訳すことができる。

 近年、安倍政権のありようを巡って「反知性主義」ということが盛ん
に言われるが、その特徴は、歴史の事実や世界の事情についての一知半
解な知識を自分の都合のいいように歪曲して憚らない論理性の欠落、周
りから見たら自分の言動がどう見えるかへの想像力の欠如にあるのでは
ないか。

 知性を持つインテリゲンツィアになろうとすれば、まさにその正反対
の確かな論理力、しなやかな想像力を鍛えなければならないが、それだ
けでは足りず、もう1つ、鋭い直感力を備える必要がある。ジャーナリ
ストに限らず、仕事をする人は誰でもこの三角形をぐるんぐるんと回転
させながら思考し、企画し、表現し、他人を動員するということをして
いるはずで、それを頭と心と体の三位一体と呼ぶこともできるだろう。
イメージ的には、上述マクリーンの理性脳と情動脳と反射脳の三位一体
と重なるのかもしれない。
(写真 http://bit.ly/1UqKKtz)

 このうち論理力は、例えば問題意識を持って読書をしたり仲間と議論
したりすることを通じて自分で鍛えることができる。

 想像力を鍛えるのは少し難しくて、私が勧めるのは、地図帳や地球儀
を眺めて見知らぬ土地の人々の暮らしに思いを馳せるとか、歴史書を繙
いて時間を超えた人間の真実に迫るとか、まずは地理的=空間的、歴史
的=時間的に自らの精神を自由に浮遊させる、時空超越の遊泳術を覚え
ることである。例えば、学校で教えられる日本歴史と日本地理について
の固定観念を数秒で転覆させて自らを解き放つには、この2枚の図を並
べて見るだけで十分だろう(写真 http://bit.ly/23huzz9 )。

 ところが直感力というのは難しくて、体で覚えるしかない。高橋源一
郎がどこかで「今の若者がクールで熱くならないのは、体を使っていな
いから。心は体が作るので、体が知らないと心は納得しない」と言って
いたが、その通りで、そのためには体ごと「本物」に接して全身で感じ
取る体感経験を積むことである。

 私がよく言うのは、「歩きながらイヤフォンでロックを聴いて『私は
ロック好き』とか言うのは止めてくれ」ということだ。その時、君は聴
覚しか用いていないじゃないか。ロックのコンサート行けば、音は大音
響で、終わってしばらくは聴覚障害に陥るほどであるけれども、それだ
けではなくて、ライトが交錯する中で身を捩ってマイク・スタンドを振
り回すプレーヤーがいて、最前列であればそのプレーヤーの汗や唾まで
飛んできてその味や臭いがしたりするし、盛り上がれば聴衆も立って踊
って隣の人と触れあったり抱き合ったりして、五感を総動員して体全体
でその世界に溶け込んでいく。それがロックというもので、いやクラシ
ックでもミュージカルでも芝居でも落語でもいいのだが、そうそう毎日
ライブに通うわけにもいかない我々が、その代償行為としてCDを聴いた
りVTR を観たりするのであるけれども、それを代償とは思わない「視聴
覚偏重」が当たり前になってしまうと、その分、触覚、嗅覚、味覚は置
き去りにされていく。五感がバランスよく働かなくなる。

 山下柚実が言うように、「豊かさを手にしたはずのこの社会で、多く
の人たちが今、悲鳴をあげている。『癒やしてほしい!』と助けを求め
ている。いったいなぜなのだろう。……自分自身の体や感覚を使って感
じる経験を、あまりにも軽視し、置き去りにしてきた私たち」が問題で
ある。

★山下柚実『〈五感〉再生へ/感覚は警告する』(岩波書店)
http://amzn.to/1NgexDH

●ジャーナリズムの方法

 直感力というのは「第六感」、ヒラメキで、これは論理力を無視する
し想像力さえも飛び越える、何やら動物的な働きである。

 しかし、これだけはハッキリしているのだが、五感がフルに活性化し
ていなければ第六感などひらめく訳がない。そこでまず、五感の中で視
と聴に比べて不当に貶められている味・触・嗅の感覚を磨くことが必要
である。

 例えば「賞味期限」表示を盲信して、それを1日でも過ぎたら捨てる
といったことを止めなければならない。人間は太古から自分の視覚・嗅
覚・味覚を動員してそれが食べていいものかどうかを判断していた訳で
あって、それをしなくなればたちまちそれらの感覚は退化する。私は、
表示を1カ月過ぎた納豆でも、半年過ぎたチーズでも、1年過ぎたうど
んでも、自分で大丈夫と判断すれば食べて、今まで一度たりともトラブ
ルに遭ったことがない。

 嗅覚は特に退化が著しく、そう言えば最近使ったこともないなあとい
う人も多いのではないか。ソムリエの田崎真也は「1日1回、何でもい
いから真剣に臭いを嗅いで香りを吸い込みなさい」と言っていた。同様
に、触覚も意識して使わなければダメで、それには裸足で土を踏むのが
たぶん早道である。

 さて、そのようにして直感力が増してきたとして、ジャーナリストの
仕事を一例とすると、現象レベルの情報(インフォメーション)の海を
泳ぎ回りながら、その中で「あれ?これは何だ」「ウン、この分析は鋭
い」「待てよ、これは何だか前に見たことがある出来事だな」「下らん
話だ」とか、瞬間的に見分けて行くのは直感力の働きである。

 そこでインフォメーションの海から釣り上げたいくつかの素材やヒン
トを、整理、比較、集合、類推、関係、優先順位づけ、鳥瞰・虫瞰等々
いろいろな操作を加えながらその問題の実体構造を1枚の絵に収まるよ
うに描き上げていくプロセスが大事で、そこでは想像力が思い切り発揮
されることになるだろう。そこを煮詰めて行った末に、「ん?この問題
の核心はここだな!」という極点に到達すると、そこを起点にしてこの
問題を語るにはどういう見出しで、どういう書き出しで、どういう順序
で論旨を組み立てるかという論理構成が決まってくる。この「核心はこ
こだ!」にたどり着いていくプロセスがインテリジェンスである。
(写真 http://bit.ly/23huzz9 )

 これは決してジャーナリスト独自の方法ではなくて、政治家にせよ経
営者にせよ市民運動のリーダーにせよ、何かしら人々に影響を与えて世
の中を動かそうとする人たちにとっては共通のインテリジェンスの技法
である。

 という訳で、田んぼに裸足で入ると、まず触覚が蘇って、五感が働き
始めるきっかけが生まれる。五感が働くと「第6感」もひらめき易くな
り、直感力が増す。その一方、足裏は内蔵と直結しているので、「内臓
感覚」が刺激される。内蔵は発生的に脳の上位にあるので、内臓脳が働
くと頭脳も元気になり、想像力も論理力も向上するのである。▲

2016/05/14(土) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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