悲観は感情、楽観は意思

ある時、ある人に、「悲観は感情、楽観は意思」と、私は言ったらしい。
らしいというのは、自分ではすっかり忘れていて、言われて、あ、そういえば・・・・と
思いだした。。

「悲観は感情、楽観は意思」って、我ながらなかなか深い言葉よね。

ちょうど落ち込んでた時に思い出したんで、
そうか、えい!楽観は意思なんだから、
ただフワフワと落ち込んでる場合じゃないぞ!と、少し元気が湧いてきた。

意思は体調次第です。つまり、楽観というものも体調次第。

たやすく言ってしまえば、
休日で、お日様サンサンで、思わず外をポクポク歩きたくなる
ような日は、考えることも明るいし、その反対の場合は、暗いってことよね。

問題はそんな当たり前なことに気づくまでに、
人生は半分以上終わってしまう・・・・ということ。とかくそう。

いい高校に入学しようと猛勉強。見事入学を果たした。
でも1か月後くらいから、空しさに襲われ、結局すぐに中退してしまった。
という、ある摂食障害(過食症や拒食症]の娘さん曰く、
「どうすれば親が喜ぶか」という基準で常に自分は行動してて、
自分が本当にしたいことをしてるわけではないので、そうなってしまった、と。

それを聞いて、そういうこともあるかもねと、私は思う。
でもね、、万事ものごとは、心の問題として論じるだけでは不十分。
その人だってそうよ。
人って何かに必死で頑張った後は、虚脱するのよ、誰でも、必ず。
中でもからだの力の多くない人が必死で頑張ったりすれば、
人一倍ひどい揺り返しが来る。

どんな揺り返しかというと、
自分の中がカラになってしまったような虚脱感、
やる気がまったく起きなくなる、とにかくダルい、朝も起きられない、
食欲も出ない、人に会いたくない、テレビも新聞も読みたくない
・・・・といった、まるで急性の鬱症にかかったような、そんな状態になる。

そういう状態にさせることで、
心身を休業させ、失ったエネルギーを回復しようと
〈いのち〉はしている。
つまりそのような異常は、正常の一部。まったく問題ない。

でも日頃他から自分がどう見えるか
ということを行動の基準にしている人は、
その状態にただ自分を漂わせてることがつらい、できない。
ボーッとしていることができず、ついつい無理をしてしまう。

(続く)

















(続く)

2013/05/07(火) | エッセイこれっきりの私 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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