ヤマ最後の日々    6月26日記

ヤマがなくなってから6日過ぎた。
死なれてすぐは、何をしてても、見ても
、涙目でヤマ、ヤマ・・・・と探し回っていた。
今は虚脱と諦め。居ないんだよ、私のヤマは、もう居ない。

それでも朝起きると一番にヤマのことを思う。
いや、思うんじゃない。
家にいるときは常に、
ヤマの気配を感じ続けきたので、
18年間毎日そうしてきたので、
ヤマの存在が私のからだ感覚の一部になってしまっているのだ。

用事で出かけて、もう1か所寄ろうかなと思案する時、
「でもヤマが待ってるから…」と思い、
あ、もうヤマは居ないんだと気づき、そのたびにかすかに胸の奥が痛む。


  ・・・・・・・@・・・・・・・


死ぬ2日前の、先週の日曜日のことです。
治療室に何度も何度もヤマが来る。
コツぺた、コツぺた、のろのろのろと、
そのたびにベッドの周りをまわって・・・。

私はスタッフの平山さんと一緒に首をかしげた。
「どうしたんだろう、今日は。こんなに副院長が回診するなんて」

いつものように、餌が欲しいのかと、最初は思った。
でも気が付くと私をじーっと見つめている。



鍼灸師田中美津の治療院れらはるせ


あれ、なんだろう。どうしたの、ヤマ。

餌を変えてあげたが、それほど食べない。
なんか変だなぁ。

[無意識はすべてを知っている]と言われている。
すでにあの時、私はなんとなく気づいていたのだろう。
それだから、帰る平山さんに、
「来週は、もう、ヤマはここには居ないのよ」と告げたのだ。

気づいていた。でも認めたくなかった。
ヤマが、私に別れを告げているなんて!!!!

いや、あの時私にだけでなく、患者さんたちにも
あいつは別れを告げていたのだろう。
「ヤマちゃん、ヤマちゃん」と可愛がってもらっていたもの。

次の日の月曜日は、朝から出かけるところがあって、
夜の7時ごろ帰ったら、朝あげた餌がそっくり残っていた。

それに寝姿が今までで一番ヘンで。


鍼灸師田中美津の治療院れらはるせ




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鍼灸師田中美津の治療院れらはるせ


あら!
・・・・・・・・・・・・・・。

高まる不安。

いよいよだな、いよいよ。
でも、わずかに食べたり飲んだりしてるみたいだから、
まだその時が来るには少し間があるだろう、2日とか3日とか。
そう思っていた。

ところが翌日は朝から、まったく、食べも飲みもしなくなった。
水に口はつける。でも飲み込むことができない感じ。


鍼灸師田中美津の治療院れらはるせ


歩き始めようとすると、
いったん下半身がフラフラと崩れ、やっと1歩を踏み出す感じ。

夜、息子が来た。
「あなたがヤマを抑えててくれれば、
ハリのないこの注射器で水を口に入れるから」
といったら、彼は、
「それはやめようよ。無理にそういうことをするのは」と。

そうだね、
たぶん、水を飲めなくなるのも死に至るからだの自然、なんだろう。

人間の不安から、
一人で静かに死んでいくという、けだものの尊厳を乱したらいけない。
いくらもの狂おしく、切なく、悲しくても、
今はもう、見守るという、何もしないことをするしかないのだから・・・。
私は、そう自分に言い聞かせた。

ヤマは居間の大きなテーブルの下でぐったりと横たわっている。
ふとみたら、なんと息子の顔をじーっと見つめてた。

1,2分して「もう帰るよ、また明日来るから」と彼が立ち上がった。
すると、ぐったりと寝ていたヤマが急にヨロヨロと起き上がった。
そして息子の足元、
足にからだをくっ付けるかたちで、ごろりと横になったのです!



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あぁー、こ、これは・・・・。
ヤマがお別れしてるんだよ!

猫は3日で忘れるといわれてる。実際別々に住むようになってからは、
「この人、だぁれ」といった目で息子を見ていたのに。

黙って、思いを込めて、静かにヤマを撫でる息子。


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ヤマは、あなたを忘れたわけじゃなかったんだね。


・・・・・その約1時間後にヤマは死んだ。
私がいつも座る座椅子に、
からだをぴったりと寄り添わせて、
死んでいった・・・・。



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2012/06/26(火) | 山ちゃん写真館 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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