「これっきりの私」で生きている人、生きたい人の、この指とまれ!の治療院

田中美津の治療院 れらはるせ 

いうまでもなく鍼灸は、人間相手の仕事です。

「治療の腕が上がれば、患者はおのずと来てくれる」って,
事実に裏付けされた真実だ。
が、ここにもう一つの真実が。
「来ない患者は治せない」というのがそれ。

そもそも病いは治すものではなく、治っていくもの。
それだから患者と鍼灸師がいい感じで
二人三脚していく時間が必要、積み重ねが大事。
つまり、患者が続けて来てくれるかどうかは、
実のところ、治るかどうかの核心につながる事柄なのだ。

田中美津の治療院 れらはるせ

今から29年前、私は鍼灸学校を卒業と同時に開業。といっても、
知り合いの編集事務所の一角をカーテンで囲んで、
一台ベッドを置かせてもらっただけ。
看板の類はいっさい出せなかった。

もう木にしがみつくセミのような、ちっぽけな治療所よ。
でも気分は高揚、展望は楽天的。
「そのうち一人、二人と患者が来て、
その人たちが続いてくれれば大丈夫。
でもうまく行かせようと、無理して愛想よくするなんて絶対にいや。
いつもこれっきりの私で行きたいわ」
と、考えていた。

「これっきりの私」ってわかるようでわからない言葉です。
でも川柳の助けを借りると説明しやすい。

命まで賭けた女てこれかいな(松江梅里)

達筆で腑甲斐ないこと言うてくる(生島白芽)

反骨の猿で前歯が欠けていた(海野善夫)


これらはみな、
田辺聖子著「川柳でんでん太鼓」(講談社)に出てくる川柳。
それぞれどことなく可笑しい、でしょ。

田中美津の治療院 れらはるせ

さすが聖子さんよ、彼女が選んだ川柳の含蓄の深いこと!
権威はもちろん、
人々のずるさ、身勝手、臆病、虫のよさなどをあまさず笑う、
笑いつつ、
「人間って可笑しいね、せつないね。でもだからいいんじゃない」と、
それとなく教えてくれるのだ。

いわば川柳は人間学の真髄。
こんなのもある。

すこし明るいのは病人が死んだから(定金冬二)

身内の死は悲しい。しかし長く寝付いてた人が死んで、
ほっとする気持もなくはないという家族の正直な本音。

「これ、なんかわかるなぁ」と苦笑する私は、たぶんわかる人の匂いを
そこはかとなく放っているのだろう。
そしてその匂いに安心や共感を覚える人たちが、
「れらはるせ」の患者として残っていく。

田中美津の治療院 れらはるせ

どう頑張ろうと鍼灸師に合った患者しか残らない・・・と、
誰かが言っていた。
そうかもね。

にがい笑いであれ、明るい笑いであれ、
笑いのツボが一緒だと、
付き合っていくのが楽しいし、とってもラク。
ラクだから、関係も長く続く。

結局、開業以来一度も看板を出さずに今日までやってきた。

ウチは今でもチッポケな治療院。
でも、患者が来ない心配だけは、したことがない。
っていうか、患者が来なければ、
来ないように生きていくだけのことだから。
お金を使わず、時間に余裕があるのを喜びながら・・・。

名声や金も欲しくないわけじゃない。が、それ以上に、
仕事が好き、生きることが楽しい、体の調子もまぁまぁだ・・・・
という日々が欲しければ、
「これっきりの私」で生きていくのがいいんじゃないの。

それが一番。
今は迷うことなく、そう思っている。


2012/03/16(金) | エッセイこれっきりの私 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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