石坂流って、どんなハリ?

田中美津の治療院 れらはるせ

将軍・家斉の時代(江戸時代後期)に、
将軍家ご用達のハリ医者として、 それも「法眼」と呼ばれた
最高位の医者として活躍した石坂宗哲(1770~1841)。

その彼のやり方を受け継ぐ鍼術(ハリで病いを治すやり方)が
石坂流です。
その特徴は、 ひたすら、
人間の持つ生命力のレベルを高めていこうとする点にある。

肩こりや腰痛、冷え、胃弱…といった
日々の不調が治るのはむろんのこと、
からだのグレードが上がっていくことで、
そういうものが 出にくいからだになっていく。
たとえ出ても一食抜けば、早寝すれば、
すぐによくなる…といったからだに。

いわば生き物として上等なからだになっていくわけね、
それが石坂流。

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石坂流は、主に背骨の周りに、ハリを打つ。

ご存知のように、
背骨や関節を動かしているのは筋肉であり、
筋肉のバランスが崩れると 背骨や関節が歪み、
そしてそれを補うとする為に 「硬結」ができる。

これが脊髄神経の働きを邪魔するせいか、
硬結があることで、痛みやさまざまな不調が生じ、
自己治癒力も、もちろんダウン。
その挙句に病名が付くような具合の悪さをしょい込んでしまう。

そのようなからだを治すために、宗哲さんは、
体表面のコリや痛みだけでなく、 深い部位の硬結に注目。

深部に生じた硬結(仙骨付近のそれを特に重要視)
を取り去ることで、
生命力を根本からアップさせ、その内側からの力で、
 個々の症状を取り去っていく。

その点が、
ツボや経絡といったものを通じて治療する鍼術と違うところです。
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一言でいえば、
もう、1年ごとにからだが変わっていくのが、
患者自身、わかるハリで・・・・。

からだは心で、心はからだ。からだと心はもとよりひとつ。
体調がよくなると、
嫌な事柄に「ノー」が言いやすいし、意欲も勇気も湧きやすいし、
機嫌のいい日が多くなるし、余計に緊張しないですむし、
見た目も明るく元気になっていく。
そんな「なりたかった自分」に、変わっていく。

いや、体調だけじゃない、プラス養生だわね。
そのコラボで「なりたい自分」を引き寄せる。

「スパッツをシッカリと履く」とか「疲れたときは早く寝る」とかの、
その人にしかできない養生が、
当たり前のようにできるようになると、
皆さん、不思議と精神的にも強くなっていくようです。

強さというものはたぶん、自分を引き受けて生きていく中で、
育まれていくものなんでしょう。

「なりたかった自分」に年々近づいていくって、
誰にとっても嬉しいことだから、
それでウチは長い患者が多いのかもしれない。
なんせ80パーセントは5年以上来てくれてる方たちだ。

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私はこのハリ術を、町田栄治先生から、教えていただきました。
だからさらに詳しく知りたい方は
「石坂流鍼術の世界」(町田栄治編著  三一書房)を読んでね。
といっても、これ、決してわかりやすい本じゃないけど。

町田先生は、
石坂流を代々受け継ぐ名門のハリ医者の家に生まれ、
幼少の頃から修行。
身に着けたその術を、長い年月かけてさらに深め、発展させて、
独特の身体観、鍼術を持つに至った。

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ハリもそうだけど、この人、生き方も独創的。

私が習っていた頃は,長野の佐久で、野菜を育てながら
癌などの重病人を自宅に引き取って治療。
(治療代は一説に、まとめて200万とか、300万とか)

そして 月に一回上京、
文京区の狭いアパートで十日間ぐらい治療していた。
一方で、詩を作り、絵も描いていた。

口数の少ない、古武士のような風格の人だったけど、
もうずいぶんお爺になっただろうなぁ・・・・・。

正直言ってニガテ、でも深く敬愛。
町田先生は、私にとってそんな方です。


2012/03/27(火) | 石坂流ってどんなハリ? | トラックバック:(0) | コメント:(1)

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