カメ、カメ、エブリバディでございますわ

ついに来ました、亀ちゃんが!
黒白猫で、お顔が真っ黒。
暗いところで見ると、目鼻立ちがよく見えない。

ブス猫とちゃうよ。
渋くてカッコいいのよ、うちの亀は。
黒い顔の中に一条白い毛が顎から頬へ走っている、
まるでナイフでできた傷跡のように。

魅力のポイントはまなざし。目ヂカラがある。
そこに一目惚れしてもらう気になった。(続く)

2013/06/12(水) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

すばらしい旅だった。馬だった。

9月の連休に4つ違いの姉と、岩手の軽米(かるまい)という町に行ってきました。

2013/09/19(木) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

今朝は小田信長と出会った。

朝目が覚めたときに、ふっとひらめくことがある。
あ、あれはこういうことだったんだ!とか、こうすればうまくいくぞ!とか。

今朝はなんとなんと、織田信長についてのひらめき!!

あぁそうか、ほとんどの人は過去に根を置く強い情念、
怒りや憎しみ、嫉妬、屈辱といった事柄に突き動かされて、
城を奪ったり攻め込んだりするが、
信長の心を支配してたのは、未来のビジョンだった。

それゆえ彼は常に渇いてた。またどのようなセンチメンタルとも無縁だった。

時に平気の平左で残虐なことをしてのけたのも、
壊しつくした果てに打ち立てる世界の像が、彼だけには見えていて、
そのわくわく感が彼の原動力・・・・・だったからだ。

普通の他人(ひと)の気持ちがわからない、
そういったものを超越しているという点で、
彼はある種のサイコパスなのだろう。

屈辱に泣く他人の気持ちがわからないから、
やすやすと光成に首を獲られてしまった(死体は燃えてしまうようにしたみたいだけど)。

・・・・・・・朝からこんなことを考えてるって、私もヘンなやつ!
さぁ、今日は仕事だ。







2014/07/17(木) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

いい温泉見ーっけた!

東北にある有名な玉川温泉と泉質が同じ温泉だと聞いて、
久方ぶりに温泉に行ってみる気になった。。
熱海からそう遠くない畑毛温泉がそれで、ラドン系のそのお湯につかっていると、
なんと瘀血(オケツ)が出てくれるそうな。

腰痛、膝痛、リューマチなど痛みが出る病気にも
大変に効くらしいが、私はいままで痛みではほとんど悩んだことがない。
でも幼時にお滑り台からドッデンと落ちていて、それが瘀血となってしまったために、
いろいろな具合の悪さを抱えているのではないかと、前から思っていて、
湯につかっているだけでいわば宿痾(シュクア)のような具合の悪さが好転する
かもしれないと知って、好奇心人一倍の方だから、もう飛んで行ったわけです。

畑毛温泉の特徴は32度の冷泉であるということ。
冷たいんじゃないかと恐る恐る湯に浸かったら、
なんとこれがすっごく気持ちいい湯なんですよ。

池上正太郎の文庫本を読みながら、毎回1時間ほど浸かった。
湯気でメガネが曇ることもなく、のぼせることもまったくなく、
寒くもなく熱くもなく、あぁなんて気持ちがいいんだろう。

たまたま一緒に浸かった見ず知らずの方々とも楽しくおしゃべり。
「こんな気持ちいい湯は初めて。気に入ったのでよく来るんですよ」
という人が多かった。

気持ちいいだけでなくいかにも効きそう。
実際2日目には下半身のだるさがまったくなくなった。
近くで開かれた「猫祭り」---耳を着け、ひげを書いて、
猫に化けて盛り上がるというお祭りに行って、
炎天下猫音頭をニャーンニャーンと踊りまくった私。

3日目からはそれほどいい感じではなかったが・・・・。
1日3回1時間ずつ入ったのが、過ぎたるは何とやらになったのか。
それとも暑いのでクーラーを最弱にして寝たので,それがよくなかったか。

クーラーって、今までも数えるほどしか使ったことがない。
前の両国の家はすぐ横に堅川という運河が流れていたので、
クーラーがないのにみんなから、「なんて涼しい家なの!」とよく言われた。

今はそれ以上快適。緑に囲まれているうえに、入居前に部屋から部屋へと
自然に空気が流れていくのように改装したから、クーラー無しでも十分に涼しい。
夜なんて窓を全開したら、風邪をひいてしまう。
んなわけで体がクーラーに慣れてない、で、今回いまいち状態になったのかなぁ。

でも4泊五日して帰ってからの体調はグッド、グッド。
からだが軽い、よくおなかがすく、よく眠れる。
なんか背中に乗ってた荷物が減ったような、そんな感じ。

左の足首が時々軽く痛かったけど、あれは瘀血が出てたせい?
私に畑毛温泉を紹介してくれた人も、そこに行った後、痛みが体に出ると
「瘀血が出ている」と言っていたから・・・・・。

今月末にまた行きたいなぁ。
本好きに私としては、
読みながら入れるというのが何ともうれしい。

ってことで、そそっかしい私が男風呂に行ってしまった話は、次回に。











2014/08/11(月) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

憲法第9条のことを考えてみた。

阿部首相は言う、
集団的自衛権が機能するようになったとしても、
自衛隊が海外に派兵されてアメリカの戦争を手助けする・・・・
というような事態にはならないと。

女性の自由を阻もうとする自民党内の政治グループのトップを長年やってきて、
いまはなんと、「すべての女性が輝ける社会を」なんて言ってる男だから、
何を言っても信用しちゃいけないのは確か。
ただ話の続きとして10、000歩譲って、海外には絶対に派兵しない
というその言を良しとしてみよう。その上でやはりこんな風に思うのだ。

それでも私が断固厭だと思うのは、
集団的自衛権や秘密保護法が作り上げようとしている世界の方向・・・・・
すなわち力には力で対抗していく大国を目指そうとしているというそのこと。
もう、マチズム以外の何ものでもない。そもそも、それが厭なのだ。

他の大国もみなそうだって?
しかし日本は誇り高き「憲法9条」を有する国ではないか。

と、考えてここでまた引っかかる。
「9条を守れ」と叫ぶ人たち、私もその一人だがしかし、
戦後日本の平和は9条だけで守られてきたと考えるほど、
私はノーテンキではない。

戦後日本の平和は、日米安保と9条の2つで守られてきたのではないか。
現実はおとぎ話の世界ではない。もし、9条を掲げるだけで平和が守られるのなら、
他の国だって、みなそうしてるはずだ。

日米安保を破棄、そしてあいまいな自衛隊もなくして、
すっきりと9条だけを高く掲げてわが道を行く。
そんな国になれたらどんなにいいだろう。
かってアジアの人々を大量に虐殺、そして広島、長崎の悲惨を体験した日本だからこそ、
国際平和を真に希求する国として、9条を、9条だけをしっかりと掲げていけたらなぁ。

しかし、そういう国になるということは、
万一他国が理不尽なことをしてきたときに、素手で立ち向かうということだ。
尖閣諸島やらの問題で、そういう事態が起こらないとも限らない。
そういう時に、胸を張って国運を賭けて素手で立ち向かうという覚悟が
あるのか、9条守れの我々は。

その覚悟を共有しながらの「9条守れ」の戦い。
そういう必死さがない「9条守れ」は、カッコつけてるだけのヘタレ・・・・のように
思えてならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記  
 ここからは昨夜(11月25日)に知った驚きのことば。

 昨夜私は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和を作る会」に参加。
 この会は知的で穏やかな素敵なおじ様たちが集まって、思うところを自由に討論
 しようという趣旨の会で、ほとんどはおじ様たちだが、もちろん素敵な女性たちも参加している。

 そこで偶然配られた会の通信に、「コスタリカから見た日本」と題した講演記録が
 載っていた。話し手は日本在住のコスタリカ人で、心理学者のべナビデス・グレン氏。

 コスタリカは九州と四国を合わせたくらいの小さな国。人口は450万人。、
 1949年に 軍隊を持たない国になった。自衛隊のようなものもない。

 私を驚かしたのはそういう国で実施されたアンケートで、
 「他国から攻められてやっつけられたら、どうする?」の問いには、
 「死ぬしかない」という答えだったそうな。
      
 グレン氏いわく、
 「そう思う人が増えなければ平和は維持できない。
 軍隊を持つ危険性と平和を目指すことから生じる危険性の二つの危険性。
 コスタリカは平和を目指すことで生じる危険性を選んだ」
 
 ふぅ~ん。いやぁ凄いなぁ・・・・・・。

 ちなみにこの国が死刑を廃止したのは、1882年のこと。
 国土の4分の1が国立公園などの自然保護区だそうな。
      













2014/10/13(月) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

不眠に怯えなくてすむよ、こうすれば。

夜、眠れないなんてことありませんか。
私も時々そんな感じに。
そういう時は面倒だけど起きて、首に1,2本浅くハリを打つて,
抜かずにそのまま寝ます。

そうすると、たいていは眠れるのですが、
たま~に強固に眠れない時があって・・・・・

自分のことは自分が一番よくわかっていると思っている。
でもね私、自分で思っている以上に、もしかしたら繊細なのかも。うふっ。

眠いんだけど、頭がほぐれてこない。
眠りの寸前まで行くのに、何かが乗り越えられない。
こういう不眠って、本当にいや。

でもなめたらあかんぜよ。
私はからだの先生ぢゃ。
こういうたちの悪い不眠は、体側マッサージでやっつけちまう。

どうやるか。
もう簡単至極。
お尻から太ももにかけて体の横(体側)を、
上から下へとゆっくりと撫でていくだけ。
皮膚上に手の平をピタッと着けて、撫でていく。

コツは息をゆっくり吐きながら、撫でていくこと。

私だと5,6回も撫でればあくびが出るが、どうだろう、
日頃無視されっぱなしのからだだと、10回ぐらいはやらないと
あくび、出ないかな、

あくびが出ればしめたもの。
そのまま続けていけば、いつの間にか眠りの世界に。

不眠兄弟は、試してごらん。

幼い子供がコーフンしたり不安な様子の時にも、横にならせて
体側をゆっくり優しく撫でてあげると、いいですよ。

2014/11/25(火) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

今さらの自己紹介ですが・・・・。

あらまぁ、さっさかさっさか12月が来てしまいました。
1年が終わるのが早いこと!
という毎年お馴染みの感想を何度か口にしながら、
今年も大晦日を迎えるのでせう。

つい最近、じゃない昨日のことです、私はこんなメールを出しました。
この2本を読んでいただくと、うちがどんな治療院か、私がどういう人間か
わかってもらえそうな気がする。これを読んでこういうところなら行こうと
思って来てくださる患者が私もほしいので、ここに採録しちゃおう、と。

まずは1本目。
患者になりたい、でもめんげん(好転反応ともいいます。ハリを打った後にでる
一時的な痛みやだるさで昔からこれが出るようなハリは効くといわれてます)が
出たら困るなぁという方への返信です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○さま

足が悪くなって1年くらいなら、お治しになるのはそう難しくないかも。
ご近所の先生もちゃんと成果を上げられてるみたいだし。
さらに体が調整されていけば、精神症状も違ってくる可能性が。
私思うに、そこに続けてお通いになると言う選択も悪くないような。

と申しますのも、うちのハリは最初の2~3回がきつい。
治療後のだるさが次の日まで続かない・・・・とは、断言できません。

とにかく同じように打っても、からだによるのです。
ほとんどの方はそれほど大変な好転反応は起きない。
でも、とにかくハリを打ってみなければわからないことなので、
絶対に次の日はだるくなりませんとはお約束できないのです。

今は治療がきついと患者が減るので、
ほとんどの治療院は置鍼と言って、細いハリを手足中心に少し入れてから、
遠赤外線などを2,30分かけ、そして裏返ってもらってまた同じように打ってかけて
だいたい1時間で終わりという打ち方が主流です。
これを俗に「たい焼き療法」といいます。

私自身が幼いころから虚弱で、そういうハリでは自分が良くならなかった。それで
うちのハリは独特の打ち方で患者さんを治しています。1人に2時間、3時間かけて。
人間、自分が信じられることしかできませんものね。

良くなった患者さんにしょつ中、言ってること。
「半分は貴方のお蔭、残りの半分は私のお蔭で良くなったんだよ」。
だってどんなにいい腕でも、来ない患者は治せませんから。
別に私がいい腕だといってるのではなく、これはあくまで一般論。

と、いうわけで、うちは患者さんにも頑張ってもらわなければならない治療院なので、
その点をよくご検討なさって、来る来ないを決めていただけるとさいわいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2本目のメールは、チョツトした無駄話。
10月に軍隊を持たないことを決めた憲法第9条良しとするには、
ある種の覚悟がないとね・・・・という話を書きました。
そのことについていただいたメールへの返事です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○さま

子どもがいても、守るものが猫だけでも、
なかなか死ぬ覚悟なんてできないよね。
それが普通。

ただ歳を取ってよかったことのひとつは、
死ぬことへのこだわりが自然と薄くなっていくこと。
私の場合はそう。

生きたいようにしか生きてこなかったので、ホントにそうなのよ、
運よくそういうことが可能な家に生まれたということもあってね、
だから「よく生きたから、もういいや」って思えちゃう。

原発でもし東京から逃げなくちゃならないという事態に
なったら、息子は逃げてほしいけど、私は猫のカメカを
置いて逃げても、そんなことをした自分を許せそうもない
ので、猫と一緒に家に籠ろうと、今から考えてます。

これも残りがそんなにない命だからできることよ。

生きることもいいけど、死ぬことも悪くない。
死のお蔭で強くて優しい私を、しっかり生きられそうな・・・・・。
最後だけは、そんな私でいたいと、切に思います。

2014/12/20(土) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

下手な手技治療のせいで、私史上最悪のお正月

暮れの29日に、私は柴又まで行って、とある整骨院の治療を受けた。
きっかけは・・・・。
患者のwさんが水泳のしすぎで腰を痛めそこに行ったのでと持ってきてくれた
宣伝パンフだった。見たら、からだを治す仕方が私のやり方に似ていて、しかも
そこは江戸時代から190年続いているという老舗治療院。
背骨の際に生じるなくてもいいものを取り去って、脊髄神経の働きを
正常化するという治療への興味と、
江戸時代から190年続いてるなんて凄いじゃんという好奇心から、
行く気になった。
今だ過って近づいたことのない整骨院へ、いざ!

なんで近づかなかったかというと、膝痛や肩こり、腰痛という
いわば部分を治すのが整骨院で、それだと内臓を含めて
からだ全体を診るということはうまくないんじゃないかという
警戒心から行かなかったわけだけど、
190年も続いてるところなら、大丈夫だろう。
昔はそこにも膝痛や肩こりだけでなく、いろいろな病を抱えた患者が
行ってたはずだから。

結果は大外れ!
凄く下手な施術をされてしまった。人一倍痩せてて小柄な私に対して、
エネルギーを取り去る時の瀉法(しゃほう)の技を、それだけを
、顔も悪いが頭も悪そうな大男の副医院長は、やっちゃってくれたのだ。
終わった後でそいつが自慢そうに「あなたには瀉法で治療した」と自分で言ってた
からね、えっ!言われて目がテンになった私。

やられている最中も、なんだかごしごしと痛いなぁ。大丈夫かなぁと思った。
でもこの瀉法の技は後からチャンと補法で補ってくれるはず。大丈夫だよ,ミッちゃん。
まずは何も言わずにお手並み拝見しようじゃないか。
というスタンスで、私は耐えた。
プロだったら、バランスよく瀉法と補法(エネルギーをもたらす手法)を
組み合わせて治療する・・・・と、あくまで信じていたからね。
ところがどっこい、どっこい、どっこいだった。
翌日からホントに酷い状態に。

1日1日、体から力が抜けてって、
食欲が全くなくなり、最初の7日間はほとんどなにも食べずに寝ていた。
8度以上の熱が出て、持病の咳と痰が激しくなり、やがて高さ20センチのベッドから
立ち上がる力もなくなって、トイレに行くときは1度ベッドから転がり落ちて、
硬い床や物入れにつかまってやっとからだを起こすという状態に。
なんか急に80歳くらいのお婆になってしまった。

1週間後、フラフラなからだで、その原因となった整体院に、
治してもらいに行った。
息子ではなく、治療院の4代目かの72歳になるそのオヤジの
自宅を調べて電話を入れ、事情を話し予約を取った。

技術というものは、個人に属する。たとえ治療院が老舗でも、有名でも、
下手な奴は下手なのだ。今回私はたまたま下手な奴に当たっちゃったんだろう。
失敗した施術を修復できる技術というか技を持っている者も、治療院の中に
いるに違いない。江戸時代から199年間一つところで商売してれば、
似たような失敗は必ず今までにも起きてるはずだから。
あの治療院でそのような腕を持っている者、それは72歳の男の父親を
おいてはいまい。
そう思って、父親の施術に希望を託した。
ところがなんと再び、どっこい、どっこい、どっこいに!

謝ってもらうことなど最初から期待してない。
こういうことが起きた時の極く常識的な対応、「治療が合わなかったんですね、
わかりました。少しでも楽にして差し上げますので、まず背中を診せてください」
といった展開を考えていた。
ところがなんと、院長である小柄な72歳は、
「あなたが疲れたからだで来たのが悪かった、それだから治療の刺激が
とんでもない結果となって表れたのだ、うちの息子は全く悪くない」と、
最初から怒鳴る、怒鳴る。
怒鳴ることに慣れきっている感じ。暴力的な家父長そのもの。

でも私もダテに年を重ねちゃいない。
自分でも驚いたが、体はへなへな状態なのに、気持ちはまったく
落ち着いてて、声が上ずることもなく、極く冷静に、
「私はすぐそばに居るのですから、そんなに大きな声で怒鳴らなくとも
聞こえます。他の患者さんの迷惑になりますよ、それじゃあ」と対応。
そうするとオヤジは一層コーフン。「あなたがそんな生意気なことを言うんなら、
今日はもう帰ってもらおう、治療はやめだ}と。
「じゃ、もう私は黙ってますから、ハイ、治療を始めてもらいましょう」という
押し問答の末に、やっと治療に入ってもらった。

結論から言うと、少しは楽になったような気がする・・・・という程度には
良かったような、そのお山の大将院長の施術は。
私とは技の分野は違うけど、手の動かし方を見たり感じたりすれば、
どの程度うまいかはおのずとわかるのよ。私も31年間、からだに触って
治すということをやってきてる人間だからね。
とにかく息子とは大違いだった。

自分のところの治療で悪くなった人間を、ああも怒鳴りつける院長が
いるなんて、本当に驚いた。
凄いね、199年の自信は。わけわからない自信だけど。
この凄い治療院をこの際紹介しておきませうね。
怖い思いが好きな人もいるかもしれないから。

場所は柴又、
(正確には、葛飾区柴又6-14-2)
名前は匡生堂(きょうせいどう) 斉藤整骨院

1月29日に治療に行ったんだから、それから今日で40日経つが、
いまだに腰がすっきりしない。
言っておきますが、それまで私は腰痛知らずで来た人間です。
どのような腰痛とも無縁だった。それなのにがたがたがたと腰がイマイチ
の女になってしまった。痛くはないが、いつもなんとなく突っ張ってて、重だるい。
整形外科で調べてもらったら、腰の神経が炎症してるのだそうだ。

治りにくいのはたぶん老化も絡んでいるからだろう。
しかしキッカケは、あのエネルギーを抜くだけの恐ろしい治療のせいである。
年を取って転ぶと、それをキッカケにがたがたと体が弱る人が多い。
私の腰も、そんな風なものなのかしら。

ま、でも、自分の腰痛を治すという楽しみが与えられたわけだから、
この道一筋、泣き言言わずに、邁進あるのみのミッチヤンだ。
がんばれ、がんばれ、ちゃ、ちゃ、ちゃといつも密かに自分を応援!











2015/02/02(月) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(1)

非定型抗酸菌症って病気、知ってますか

私の持病、非定型抗酸菌症。またの名を非結核性抗酸菌症ともいう。
症状は、咳、痰、微熱。それらが午後になるとひどくなる。
結核と同じで菌が肺に入って起こる。でも、結核菌と違い、そこらに
浮遊している雑菌が入って起こるので、効く抗生物質をこれだっ!と
特定できない。
それゆえ決定的な治療法がない。
なんと、効くだろうと思われる抗生物質を1年、2年、3年・・・・と長期に飲み続ければ、
効く場合もあるという程度の、治療法ともいえない治療法しかないのよね。

ただ結核と違って、他人には感染しないし、
徐々に咳などがきつくなっても、命までは取られない。

おもに患者は中年女性。なぜそうなのかもわからない.(続く)
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2015/03/10(火) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(1)

春画展に行って思ったこと

先日【春画】というものを初めて見た。それも1度にたくさん!

日本初の「春画展」が、目白台の「永青文庫」(細川家所有)で開かれてる。
好奇心に手足の私は、こんな時にでも見ておかないと・・・・と、さっそく駆けつけた。
頑張って朝早く行ったのに、もう一杯の人だ。
女性も結構来てるし、若くはないカップルもあちらこちらに。一番多いのは
やっぱ中年のおじさんたちで、それらみんなでぞろぞろと列を作って鑑賞。

見始めてすぐにわかったことは、
春画って男女のつがってる状態、すなわち性的結合を見て楽しむ絵だということ。
もう、これでもか、これでもかと、似たり寄ったり、組んずほぐれず、
そのものズバリの色事に次ぐ色事。

1枚見たらギョッ!だけれど、こう何枚も何枚も見せられてると、あぁまたこれって感じ。
もっといやらしいものだと思っていたのに。期待外れで、なんだか退屈。
男たちがやたら巨根ぞろいで、それが笑えるけれど・・・・・・。。

そうこうしてるうちに、
春画って男から見た色事なんだって気がついた。
だって上半身は乱れがなくて、乱れて露出してるのはお尻から下の部分ばかりだもの。つまり、
もっぱら男のモノを、女のそこに入れることばかりに熱中してるのね。
おっぱいに触ったり,肩を咬んだり、耳に息を吹き込んだりの秘め事はない。

うん、わかったぞ、春画って男の快楽中心なんだ。
だから退屈なんだ。

春画なんだから、見て大いにいやらしい気分になりたい。のに、ならない。
なんだ、つまらない・・・・と思いながらゾロゾロ進む。

そこへ北斎、歌麿が登場!
あっ、な、なんだ、なんだ、このゾクゾク感は!

超有名な北斎、歌麿。凄い技量だと、むろん以前から知ってはいたけれど・・・・。
彼らの凄さの本質、それは彼らって男であって女、女であって男の、両性具有の人たちなのだ。

天才は両性具有。彼らの絵には、女の快楽が、深く艶々と描かれていた。

かなり少なくなってしまった己が肉欲。それををアンテナにして、
私はその日春画を見ていた。
わからない世界だけれど、春画はそんな風に見るものだという気がしたから・・・・・。

口づけしながらのけぞる男女、つがいつつ、おっぱいをやさしくまさぐる男の手、
女の首筋に顔をうずめる男の恍惚・・・・・・。
わぁ~、感じる、感じる。うっとりと、そこはかとなく見る者たちも濡れていく。

一番有名な浮世絵って知っている?
それは北斎の、蛸に吸われて絡まれて恍惚状態になってる女体を描いた絵だそうな。
う~ん、そうか、なるほど、これ、感じるもんなぁ。
世界中の女たちが、この絵を1番にしているのだろう。

蛸もいいけど、でも私の一番は、
歌麿の「歌まくら」に描かれた抱き合ってる男女の顔つき。
あれが、たまらなく好きだ。
生きる喜びにあふれた男女和合のひとときが、匂い立っていて・・・・。
いいなぁ、こういうの。


普通の浮世絵は、女たちの顔がみんなおんなじ。取り澄ましたのっぺり顔で。
でも、あんな大らかな、表情豊かな浮世絵もあるんだね。

浮世絵は春画がいい。
なぁ~んて、わかったようなこと言いたくなりそう。

息子には、ぜひ行ったらいいよと勧めたけれど、ハテサテ・・・・・・。
12月23日までやってます。
















2015/11/01(日) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(1)

車内にいたのは私一人の怪!

こんなことってあるの?・・・・・って思うけど、あるのよね,実際に.

先日の12月8日の夜10時ごろのことです。
その日新宿まで行った私は、[新百合ヶ丘]で小田急の急行に乗り変えた。
電車に乗るとすぐ文庫を開くのが私の癖。電車は私の大事な読書時間ぢゃ。

その時もそうで、しばらくしてそろそろかなと思って顔を上げたら、「次は小田急永山です」のアナウンス。
「永山」の次は多摩センター。もうじきだと思いながら、また文庫を読み始めた。

そして、再びもうそろそろと思い本を閉じて顔を上げたら、な、なんと車内には私一人!
えぇーっ、なにこれ!あれだけいた人はどこ行ったの?乗り過ごしたの、私?
疾走する電車、広い車内に一人私。アチャー、アチャー。動転したわ、珍しく私は。

どうする、どうする、どうするんだっ!
私はいったいどこへ行く?いや、どこへ連れて行かれるんだっ!
思考停止の頭で必死に考える。

きっとこの電車は車庫に向かって走っているのだろう。
しかし、しかし、誰も私がここにいることを知らないのだから、
今夜私は車庫の電車の中で、眠るわけ?

なんだかわからないけど、こりゃ大変だっ!
運転手さんに、「私がいま~すっ」ってすぐに伝えなくては。
そう思って、揺れる電車の中を歩いて一つ前の車両に行ったら、やっはりその車両もカラよ。
わっわっ、ほんとに私だけだ!!!どうしよう!!!

一層動転しながらさらに先の車両に。
ウゥゥゥゥ・・・・そこもカラ!

そのさらに前の車両に行こうとしたら、車内からは行けないようになっていた。
もう絶望的な気持ちになりながら、それでもふと何か目に入ったので、
ガラスに顔をくっつけて、行くことができない次の車両の中を見た。

ややっ、女性が!いたぞ、人が!
車内に一人だけ女性が・・・・。あぁ嬉しい、助かった!

それから間もなく、電車は、多摩センターの隣、終点の「唐木田」に到着した。
そこで降りた。ぱらぱらと降りてきた、3人ほどの人と一緒に。
そこから多摩センターにとって返して、這う這うの体で家に帰りついた。

翌日、朝食を食べてる息子に、「ねっねっ、聞いて、聞いて!」と話したら、
居眠りしちゃったんじゃないのって。
いやぁ、いくら私でも次は降りる駅だとわかってて、居眠りしないわよ。
と反論したけど・・・・。
麻酔薬をかがされたようにストンと寝ちゃうんだろーか、私は。
読んでる本から目を上げて、周りを見渡してギョッとしたという記憶があるんだけどなぁ。

いやいや、論点をずらしてはいけない。
私が居眠りしてたかどうかということは2次的問題で、
気が付いたら電車の中に一人・・・・という事態が、実際にあるんだという事実。

いくつになっても、知らないことってあるのねぇ・・・・・・。





















2015/12/11(金) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

快いアベ政権は一層危険!

あけましておめでとうございます。

正月はお雑煮を食べる日だ。
キャベツ、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、ブロッコリーなどなどに
鶏肉を入れて、コトコト炊いたスープ。
それに、焼いたお餅を二つ入れて、これが今年の我が家の雑煮です。

これだけで済ませようとしたらそれもありの、栄養たっぷり雑煮。
最初は塩、こしょうで。飽きたら、毎月来るので余ってる野菜ジュースを加えて
洋風スープに。いよいよ煮詰まっててきたら、カレー粉を入れて少しだけ辛いカレーにする。
1回作れば3日間食べられる。一人暮らしはこんなズボラができるからいいなぁ。

ついでにお餅を使った料理をもう一つ紹介。
まず大根おろしを作る。あれば辛み大根がいい。なければ普通の大根で。
作ってる途中で、どんぶりに水を入れ、
その中にお餅を入れてレンジでチンする。

大根がすり終わる頃に、お餅もやわらかく出来上がっているから、
おろしを軽く絞って、その中によくかき回した納豆1パックを入れる。
そこに、ダシの素と、しょうゆと、たっぷりの溶き辛子、あればネギも細かく切って入れる。
ネギの代わりに三つ葉でも、シソの葉、茗荷でもいい。
そこにお餅を入れてからめれば、完成だ。

気をつけたいのは納豆の品質。
前にそこら辺のスーパーで買ったオカメ納豆でやったらまずかった。
納豆ぐらいは贅沢したい。
「雪割り納豆」っていう温かいご飯にのせて食べる納豆でもいい。

納豆、大根おろし、お餅。これ、ほぼ完全食です。
夜遅くなってからおなかがすいて何か食べたくなった時や
朝ごはんとしておすすめ。
大根をするだけであっという間にできるし、いろいろ混じり合うから微妙な味わいで、飽きない。
美味しいものを食べたい、でも料理に時間を取られたくない人にはぴったりの簡単料理です。

年を取ると、いろんなことが面倒になる。料理もそう。
丸干しを焼くとか、冷やっこにするとか、菜の花のおしたし
(」これは辛子和えがいい)、長いもを千六本に切ってワサビをいれたもの、
春雨を多めにゆでといて使う分だけ出して、それにハムやらシーチキン、きゅうり、
小松菜、ゴマなどを入れて甘酢で味付けしたもの等、手のかからない料理なら、
何とか努力するけれど、手のかかる料理はカレーライスくらいにしときたい。

まずいものは食べたくない。でも、手のかかるものはダメ。
この二つの基準をクリアーしたもので、今年も露命をつないでいくんだわ。

さて、ノンキに食べ物の話をしてる場合じゃないぞ、ミッちゃん。
友人の小倉さんがメールで賀状をくれた。次の箇所を何度も読み返した。

今年は、仲間うちだけでなく、
国民の無関心層へも飛び込んで行く行動を起こすことが必要だと思います。
それには恥も外聞も捨てる覚悟がいると思います。
「共考」につづいて、一人でも「行動」することが
大事ではないでしょうか


このメールの前に、別の知り合い石川さんからこういうメールが来きてました。

今年は権力の怖さがモロ解るようになるのではないでしょうか。
安保法制でも辺野古でもわかるように、話し合いは形だけ。
あとは問答無用で押し出してきます。

こちらも活動をエスカレートさせると、
権力の怖さが身にしみてわかるようになるでしょう。
のどかに話し合いで何とか・・・・は通用しません。
のどかな議論はメールでお遊びするのには楽しいのですが。
地(知?)についた行動とは結びつきません。
地に触れていなければ論は軽くなります。

選挙で対抗するのも1つの方法です。
頑張りましょう。


あぁ皆さんと気持ちは同じだわ。
70年代の頃から私は、自分の「生きる」と世の中の動きは、決して無関係じゃないと気づいた。
そして権力を握っている大企業や政治家への注意や関心を怠らないようにしてきた。

今、頭はむろん、肌でも感じる。新年早々、粟立つ(あわだつ)肌よ。
70年代よりも、80年代よりも、今が一番ヤバイ状況だ。
憲法を、自分たちの使い勝手のいいものに変えて、
より一層アメリカに追従できる国にしようと画策しているアベ政権。
ここらで奴らをストップさせられないと、本当にヤバイことになってしまう。

戦前も、まさか、そんな風にはならないわよ・・・・と、大多数の人たちは考えていた。
これってマズイかも・・・・・・と、モガやモボ(モダンガールやモダンボーイ)が気づいた時には
「マズイかも」と思うだけで警察に連行されちゃう世の中になっていたのだ。

「この子、は沖縄だ」のグループを、一緒にやってる阿部さんは、
会社の忘年会の席上、女の子が轢き殺されてる写真が載っている例のチラシを掲げて、
「自分はこういう活動をしてます」と話したそうだ。
そのあとで、個々にチラシを渡しての話もして・・・・。

凄いなぁ! しかし想えば、
このような勇気と誠実さを持てるかどうかを、等しく私たちは、
時代から未来からら問われているのだろう。
また再び、言いたいことも言えない時代に戻るのか、
それでいいのか、あなたは・・・・と問われている。

暮れも押し迫ってから、急きょ韓国との間で慰安婦問題が進展。
珍しく強ばってない言葉で、日本政府が韓国に謝罪した。
これからは慰安婦問題に足を引っ張られることなく、両国の友好関係を深めていくそうな。

政府がどんな償いをしたところで、
元慰安婦の方々の心は過去をさまよい続けるだろう。
憎しみや怒りを生きる力にしてきた人たちは、
それに代わる生きてく力を得ることなしには
癒されることがない。
他国の人をそんな深い奈落に突き落としてしまったという責めは、
2度と同じ過ちを犯さないという事実の積み重ねをもって、
日本政府と私たちが負っていくしかないものだ。

今回の政治的決着は、
アメリカの思惑(巨大化する中国を封じ込めたいという)が裏にあってのことだろう。
日韓両国の経済の問題も、過去にこだわりすぎないようにしたいという機運へと
両国を押し上げた大きな理由にちがいない。

であったとしても、ま、よかったんじゃないか・・・・と私は思う。
慰安婦がすっきり片付かない限りは、日韓の問題はすべてペンディング。という
風通しの悪い関係をこれ以上続けることに意味も希望も見いだせないもの。
すでに述べたように、すっきり片付くってことがない問題なのよ、これは。

最低、最大の努力として、アベ首相は一人一人のオバァさんを訪ねて、
チャンと謝罪をしてほしい。ここまでやったんだから、そこまでやらなきゃウソよ。

で、すでに、
アベ政権も、ケッコーいいことするじゃないかと、見直してる人もいるんじゃないの。
しかし、今回の和平への動きは良しとしても、
それでアベ政権の評価を変えるのは
危険だぜと、私は言いたい。

こういうことをするにあたって、テキはちゃんと計算してるわよ。
「アベ政権に任せておけば大丈夫」という空気を、国民の間に浸透させ、
反アベ勢力を弱体化させる


たぶん、これがアベサンの狙いよ。

政府にお任せは、ファシズム(全体主義)への道。
快いアベ政権は一層危険。
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2016/01/02(土) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

対論集会  長谷川三千子さんvs想田和弘さん

急に忙しくなってきた。
っていうのも、そろそろ4月にやる予定の辺野古座り込みツアーの準備を
しなければならないのに、
7月の【天下分け目の参議院選挙】に向けて、
そうだ!アベ政権反対を盛り上げるために何か集会を開こうな~んて思いついちゃったのね。

私の周りにはアベ政権を支持する人なぞ皆無。
それなのに今回下手すれば3分の2の議席を取られてしまうかもしれないという
危機的状況にある。

しかし、自民に3分の2の議席を取られてしまったら、沖縄はどうなるんだっ!
という思いが私を動かしていく。

久しぶりの集会開催。
しかしやるんなら、よくあるスピーカーも参加者も主義主張が同じ、そういう者ばかり集まって
気勢をあげteる集会じゃダメよ。あぁいうのは退屈。退屈は人を腐らせていく。
で、どんな集会にしようかなぁと考えているうちに、アラそういえば、アベ政権支持の人たち
の考えって、まともに聞いたことがないなぁと気がついた。
そして、この際だ、アベ首相のブレーンのお1人である長谷川三千子さんに来てもらおう
と思い立った。

主義・主張はまったく相容れない人。でも、私は長谷川三千子さんが嫌いではない。

実はこんなことがあったのね
昨年の春にフェミニズム関係の大きな集会(落合恵子さんや北原みのりさんといった方たちも参加の)
が参議院議員会館のホールで開かれた。
私は単に、自分が主宰している「辺野古での座り込みツアー」のチラシを撒きたくて行っただけでしたが、
集会の最後に参加者からの自由発言があつて、その中の一人の発言に思わずビックリ!

あの長谷川三千子さんが自ら名乗られて、反対意見を堂々述べられたからです。

名前は知ってましたが、実物を見るのは初めて。
さぁ、これからどんな論戦になるのかと思わずワクワクしていたら・・・・。

「あなたのような人がよくここに来られたもんだ、出て行きなさい」
という感情的な反論がまずなされて、その後場内はシーンと静まり返って、
なにやらマスヒステリー的な空気が濃くなっていって・・・・。

これはまずいぞ。
論に対して論を戦わせることなしに、「依って立つところの違い」をもって断罪していく
というのは、一番やってはいけないことだ。
黙っていたら私もそういう側の人間だと思われてしまう。それが厭さに私は発言を求めました。

何を言ったか、もうほとんど忘れてしまったが、
「たとえ彼女が敵だとしても、1人でやってきて、黙って聞くだけ聞いて帰ればいいのに、
わざわざ名乗って反論を展開するなんて、敵ながらアッパレじゃないですか、
アッパレの人には、アッパレに対応しませんか」と、確か言ったような・・・・。

そしたらそれに対してあちこちから拍手が起こって・・・・。
あぁ言ってよかった、これで私を救い、フェミの運動も救うことができたな、たぶん。

こんな出会いがあってから何日か後に、個人的に長谷川さんと話す機会がありました。
長時間、もう子育てから憲法のことまでいろいろ話し合ってその結果、主義・主張はずいぶん違うが、
、共感できる部分も少なくない人だということがわかりました。

自分とは異なる意見の人で満杯の集会に、
お付きも連れずに1人で来て(偶然にその日参議院議員会館に来ていて、ふと行ってみる気になったそうです)、
長谷川三千子であることを名乗って発言する・・・・という人には、私は敬意を持ちます。持たざるをえない。

それ故今回彼女に来てもらってその意見を聞いて、それに反論をぶつける・・・・
という企画を考えたわけね。
幸い彼女からはスグにOKがもらえた。
そして対論者を誰にするか、慎重に考えて、考えて・・・・・。

長谷川さんはなかなかの論者だから、それに十分対抗できる人。
それも長谷川さんをやっつけるなんてことより、
「アベ政権? 集団的自衛権?悪いに決まっている」・・・・という、
自分たちが絶対正しいという考えから来る一種の思考停止状態から脱して、
【私たちは今どこに居て、どこへ行こうとするのか】という問題を、私たちが考え深めていけるように
話を展開してくださる方を見つけたい。

あの人この人考えた挙句、そうだ、想田和弘さん(映画監督)に来ていただこう、と。
「現代思想」2月増刊号に想田さんが書かれた文章が載っている。
それを読んでぜひ、長谷川さんと対論してほしいと思った。

安倍政権が進めているのは《対米従属の深化、つまりは更なる
属国化への道》である・・・と、想田さんは指摘する。
《安保法の制定も、辺野古新基地建設の強行も
「属国としての地位の深化」としてとらえられるならば、安倍政権のポリシーは
誠にわかりやすく一貫している、と。
我々は一層の属国化を選ぶのか、それとも真の独立を手にするのか、
今そういう岐路に立っているということを、あなたは果たしてわかっているのか。
一読した私は、そのように彼から尋ねられてる気がした。

長谷川さんのご著書「9条を読もう」(幻冬舎新書)を読むと、彼女も属国としての日本を憂える
人に思える。そのあたりの認識では2人は一緒、しかしアベ政権を支持するということは
一層の属国化を招くという、想田さんの指摘に、はたして長谷川さんはどのように答えるのだろうか。

ぜひ2人のやり取りを、見たい、聞きたい。
想田さんに連絡したら打てば響くように、長谷川さんとの対論集会を引き受けてくれた!
難しい集会なのに、潔い人だなぁ。
さぁ、どんな集会になるだろう。
退屈しないことだけは、今から確かだわね。

開催日  3月11日(金曜日)
       18時半開始~21時半終了

場所   文京シビックセンター24階の 「スカイホール」

募集人員   100名
(この人数じゃ予約にしないと、入りそこなう人が出そう。
とりあえず予定表に入れて、日にちを確保しておいてください。
予約開始は3月1日からになるので、それまでにこの欄に、連絡先のメアドを記載します))




















2016/02/04(木) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

民主主義は「多数決」ってことじゃない

場の空気を読んで常にみんなと同じ行動をとるチカラを測る「空気読解能力検定」。略して「空検」。昨今その習得を昇進の目安にする企業や官公庁が増えている。また「就活に有利」という評判に、学生たちが空検に殺到。昨年の受検者数は前年の3倍増、120万人に達し、なんとこの夏から小学生以下を対象にしたジュニア空検も始まる。
・・・・とこれ、4月1日の東京新聞の記事。もちろんエイプリルフールのジョークです。でもこのジョーク、なんか凄くリアリティあるよね。もとよりこの国の人間関係は、「場の空気を読む」ことなしには成り立たない。父母会、町内会、会社の会議はもちろん、女子会や〇〇反対のミーティングだってそこはかとなく場の空気を読みながら進められる。

日本は、「和を持って尊しとなす」の国。これ、それ自体は悪くない価値観、しかし何事も過剰は悪である。島国は逃げ場がない。そういうこともあって波風を立たせないで生きていくのが大事、そのためには空気を読むことが大事、大事で、しかし空気を読むということと、自分の考えを持つということは、不可能じゃないが、両立し難い。

戦後70年、日本は民主主義の国だと疑いもなく思ってきた。リベラルな方々が、ことあるごとに「民主主義を守れ」と言っていたから、それは当然在るものだと思ってきた。しかし空気を読んで生きることが、もっとも無難で賢い生き方だと思われている国、自分の考えを持つて生きることが難しい国に、「多数決」以外の民主主義なんて根付くものなの?

考える個人抜きには民主主義なんて、タテマエでしかない、多数決で事を決める制度でしかないんだと、やっといま気づいて、その気づきの窓から覗いてみたら、日本で一番民主主義が根づいているのは沖縄だ・・・ということにも気がついた。そしてまた、すべてアメリカの言うままに動いているこの国は、実は属国として戦後70年を迎えているのではないかということにも気づいてしまって・・・・・。胸が痛くなるような事実だけれど、それが真実。

宣伝というか、お伝えするのをいつも忘れてしまうが、老骨に道打って、私は昨年から頻繁に沖縄に通い詰めている。。
沖縄・普天間基地を辺野古へ移転させようという政府と米軍の計画に反対して座り込みを続けている現地のオジィやオバァ。その闘いに、僅かなりとも連帯しようとツアーを組んで行ってるのね。今度の5月末にもまた行きます。

大事なこと、それはまた、民主主義について考え深めていくツアーでもあるということです。
民主主義ってものは犬に与える肉の切れ端のようなもんじゃない。
それはそもそも与えられるものではなく、不正、不平等に立ち上がっていくことを通じて勝ち取っていくものなのだ。

集団的自衛権も憲法の改悪も、私ら日本国民は絶対多数で反対している。にもかかわらず、アベ政権はより一層アメリカに隷属して行こうと国会での審議もろくろくせずに、米軍と一緒に戦争できる国を作ろうとしている。
国民主体の民主主義を一番望んでないのは私らの政府だ。
日本は「日米地位協定」なる取り決めを破棄しない限りは、アメリカの属国であり続けるんだということを、一層深く知っていく。
そのためのツアーは、来る5月27日~29日の2泊3日で実施されます。
詳しくはブログをご覧ください。http://hmw.or.jp/^okinawa










2016/04/15(金) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

ぜひ、あなたにも読んでもらいたい

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 高野孟のTHE JOURNAL
      なぜ裸足で田んぼに入ると頭がよくなるのか?


 今年も田植えの季節がやってきた。私はかれこれ20年ほど、南房総・
鴨川市の里山で、自分らで食べる米は自分らで植えて自分らで刈るとい
うことを実践してきて、それこそが暮らしの安心の根本であると確信し
ている。大都会では、金さえあれば何でも手に入って便利なことこの上
ないけれども、ひとたび災害に襲われれば、大規模供給・流通システム
が麻痺して、いくら金があっても、米どころか水さえも手に入らない。
我が家は、水も森の中の水源から延々300 メートルもパイプを敷いて浄
化してタンクに貯めて上水として使っているので、多少、粘土の微小な
粒子が残って濁るし、パイプや浄化装置やタンクのメンテナンスに手間
はかかるけれども、自前の水源を持っていることの安心感には代えがた
い。大規模システムに出来るだけ頼らない、米を真ん中に置いた等身大
の暮らし方を追求することが、21世紀的だと思っている。

●私の米作り

 私自身の田んぼとの関わりとしては、NPO 大山千枚田保存会の理事と
して、広報事業や、棚田会員たちの田植え作業を支援する活動などに携
わっている他、家族として釜沼北の棚田クラブの会員となって年間を通
じて孫一家や知人らと共に田植え・稲刈りを楽しんでいる。

 大山千枚田は、鴨川市の山中の約4haの急傾斜地に大小375 枚の田が
広がる、それは見事な景観を持っていて、「首都圏からいちばん近い棚
田」としても知られている(写真 http://bit.ly/1SWK287 )。ここで
は、棚田の保全に賛同する都会人から年間3万円で会員を募って、棚田
オーナー(136 組)、棚田トラスト(56組)、自分らで育てた米を地元
酒蔵に委託してマイ酒を造る酒米オーナー(59組)などを運営している。
5月連休の前後には毎日数百人の会員たちが家族連れでやってきて田植
えをするので、その準備や当日の手助けで目の回る忙しさが続く。梅雨
時から夏にかけて田の草取りや畦の草刈りなどの作業があって、9月の
稲刈りにはまた連日数百人が押し寄せる。

 他方、釜沼北の棚田クラブは、大山千枚田の言わば支部で、2532平米
(2.6反=766坪)、7枚の小棚田で25組の会員を募集し、村の80歳代後
半の長老3人の指導で共同で米作りをする。大山千枚田は大人気で、な
かなか空きが出ないので、どうしてもこの近辺で田んぼをやりたい人は
こうした近隣の小棚田のクラブに参加することになる。2500平米を25組
ということは1組当たり100 平米≒1畝≒30坪で、収穫は年によって違
うが、1組当たり45~50キロ弱となる。

 また、千枚田よりさらに奥にある「鴨川自然王国」では、私が早稲田
大学でゼミをやっていた頃には学生たちに半ば必修で田植え・稲刈りを
やらせていた。今もそのOB・OGたちや、社会人ゼミの学生などがその伝
統を引き継いでいる。

●田植えの喜び

 田植えの時に私が若い人たちに言うのは、「裸足で田んぼに入れ」と
いうことである。ふつう都会人の皆さんにはゴム底の「田植え足袋」を
履いて足裏を保護するようにして貰うのだが、実はそれでは田植えの面
白みは半減する。

 この辺りの田んぼの土は独特の重粘土質で、水を張った田に足を踏み
入れると、足先は踝の上までヌルヌルズルズルと潜って、水が膝上10セ
ンチくらいまで来てしまう。次の一歩を踏み出すのは簡単ではなく、腹
筋に力を入れて体のバランスを確保しながら、足首を真っ直ぐに伸ばし
て踵の先から騙し騙しスーッと抜かないと上手く抜けない。毎年必ず、
それに耐えきれずにバッシャーンと尻餅をついて、せっかく植えた苗を
台無しにする奴がいる。

 しかし慣れてくれば、5月といえども水はまだかなり冷たいけれども
その底の土はほんのりと温もりがあり、何とも言えず親しみのある感触
であることが足裏で感じられるようになる。その温もりや親しみは何か
と言えば、生命の源である「土」の神秘のパワーである。

 私が尊敬する山形県長井市の養鶏農家の菅野芳秀は、よく小学生に話
をする時にこんな風に「土に寄せる百姓のロマン」を語る。

「私の右手には土、左手には砂がある。土は軟らかいし、香りがある。
砂は硬く、香りがない。土には砂にないぬくもりがある。土と砂を分け
ているものは、植物や動物たちの遺体が含まれているかどうかなんだ。
そう、土は今までこの地で生きていたものたちの遺体の集合体なんだ」

「岩に最初に棲みついたのはコケのようなもので、それが朽ちて少しの
土が出来て、その何千回、何万回の繰り返しのなかからやがて草や木が
でき、動物たちが生まれては次々に遺体となって土に還った。タヌキも
いた、カモシカもいた、森に野草取りに行って行方不明になった婆さん
もいただろう。数十センチという土の層は、数万年、数億年という歳月
をかけた、生きていたものたちの集積なのだ」

 かつて生きたもののすべてが微生物の働きで分解され、朽ちて、土と
なる。一握りの土には10億匹もの微生物が生きていて、彼らが数万年、
数億年を経たかつて生きたものたちの遺産の現役の継承者である。だか
ら土は命の源であり、足裏に感じるのはその温もりなのだ。

★菅野芳秀ブログ: http://samidare.jp/kakinotane/
★同主著:『生ゴミはよみがえる』(講談社)
http://amzn.to/1NgdQKz
『玉子と土といのちと』(創森社)
http://amzn.to/1NgdWlD

●足裏感覚の喪失

 土の生命力を感受するにはいろいろな方法があるだろうが、私は足裏
が一番だと思う。

 人類の祖先が約500 万年前になぜ直立二本足歩行を始めてヒトになっ
たのかの理由はよく分かっていないようだが、ともかくもそれ以来ずっ
と我々は足裏で土と接して、地面に踏ん張って生きてきた。

「人間だけが足の裏を持つ。立つことはすべての動作の基本であり根源
である」と、平沢彌一郎は言う。だから「98%の子どもは健康な足で生
まれてくる」のだが、残念なことに「60%の大人は足に障害を持ってい
る」と、清水昌一は嘆く。

 ベアフットランという、素足に近い平らな極薄の靴で走る長距離ラン
ニングのスタイルがあって、その宣教者である四角大輔という人がこう
言っている。

「人類の歴史の大半は裸足だ。人間の体は裸足で走るように出来ている。
靴の過剰なサポート機能は、ぼくらの足と体を弱体化させ“不自然な状
態”にしてしまったのだ。これは、自然から切り離され、太古の感覚を
失っている現代人の病理にも似ているように思う」(13年10月5日付朝
日)

 同じ頃の別の新聞にも「かけっこに中年からでも速くなるには、足の
運びを裸足で練習するのがよい」という記事が載っていた。

「現代人はクッション性の高い靴に慣れて体本来の機能が衰えている。
裸足になることで、走るときの衝撃吸収機能などを体が取り戻し、けが
を防げる場合がある」(13年10月12日付日経)。

 そこで重要なのは、「足は、手と同様、運動器官であると同時に感覚
器官」であることである。「大地を裸足で踏んだときの触覚・圧覚など
は、足の皮膚・筋肉・腱などにある感覚の受容器をとおして中枢神経に
伝えられ、この情報は大脳の運動野からの調整の再命令として足の筋肉
に送られて、足の運動はうまく続けられる」という、近藤四郎が主張す
る足裏と脳との連動性である。

 足裏は脳と連動する。しかし手の平もまた感覚器官であるから、手で
土を感じるのも悪くない。あるいは、泥浴びに飛び込んで全身で土を受
け止めるのも、もちろんいいだろう(写真 http://bit.ly/1O8suOW )。

★平沢彌一郎『足の裏は語る』 (筑摩書房)
http://amzn.to/1Nge30j
★清水昌一『歩くこと、足、そして靴』 (風濤社)
http://amzn.to/1Z1dnN3
★近藤四郎『足のはたらきと子どもの成長』(築地書館)
http://amzn.to/1Z1dmIM

●そも動物は腸である

 そこでもう一歩踏み込んでみたいのは、足裏は大脳運動野と連動する
だけではなくて、むしろ全内臓、とりわけ腸と、より強く連動するとい
うことである。

 東洋医学では、足裏は体の全部位に繋がるツボが集中する、言わば全
身センサーで、どこのツボがどの内臓に刺激を届かせるかについての詳
細な体系を持っている(写真 http://bit.ly/1O8suOW )。西欧医学か
らすれば、それは単なる神秘主義で科学的に実証されていないと見える
のだろうが、しかし、西洋医学が解明・処方できる領域は実はかなり限
られていて、東洋医学の数千年に及ぶ集団的叡智の蓄積のほうが勝る場
合もある。

 東京医科歯科大名誉教授の藤田紘一郎は「脳よりも腸のほうが賢い」
と言う。

「『腸は第2の脳』といわれるが、腸の思考力は脳より上だ。人間の腸
には大脳に匹敵するほどの数の神経細胞があり、それは脳の祖先が腸か
ら始まったことに起因している。……脳は食べ物が安全かどうかは判断
できないが、腸にはそれができる。食中毒菌が混入した食物でも、脳は
食べなさいとシグナルを出す。しかし腸は菌が入ると激しい拒絶反応を
示す。食物が安全かそうでないかは腸の神経細胞が判断し、安全なもの
でないとすぐ吐き出したり下痢を起こしたりして、なるべく早く人間の
体を中毒させないように反応を起こす」

「また、腸は消化の目的だけで働くというのが一般的な考えだが、実際
には人間の感情や気持ちなどを決定する物質はほとんど腸で作られてい
る。腸の中で食べ物から人間に幸せと愛情をもたらすセロトニンやドー
パミンを合成している」

 脳は腸から始まったというのは、動物の進化の出発点とも言えるヒド
ラやイソギンチャクなど腔腸動物には脳がなく、腸が脳の役割まで果た
していたことを指す。脊椎動物が生まれる元となった脊索動物の代表格
の1つはホヤで(写真 http://bit.ly/1O8suOW )、この段階になると、
体全体が1個の腸のようではあるけれども、その周りにすでに心臓や脳
神経節や精巣・卵巣などの機能が発生している。このコダイホヤは単体
節で、それが何回かの遺伝子重複を繰り返して数珠つなぎの多体節とな
り、海底に固着することを止めて横になって口のある方向に前進してよ
り多くの餌を得ようとするようになると、先頭の鰓腸が前に突き出て
「顔」を形成し、またその多体節を支えるために脊椎が発生する。それ
がつまり「原始魚類」である。

 従って、その進化形としての高等生命体においても、根源的な器官は
腸である。西原克成によれば、「腸管の総体に心が宿り、財・名・色・
食・睡の欲の源が存在する。……哺乳動物では鰓腸に由来する器官が感
情と精神を表す。胸が高なる、うきうきする、胸をはずませる、胸躍ら
せる──と、肺と心臓の高鳴りで心の浮き立つ様を表す。陰の表現では
胸騒ぎ、胸かきむしる、胸が張り裂ける、胸苦しい、息苦しい、息が詰
まる、……として肺と心臓で心があえぐ悲しみの様を、顔の筋肉と眼と
鼻と声帯から涙と洟、声によって表現する。これらはすべて、鰓腸由来
の筋肉とその附属の器官である。心とは、五欲に発する感情で、うれし
い・悲しい・怒り等、内臓から発する情動のことで、胸と腹にこの心が
宿る」

 胸だけでなく、腹にまつわる感情・精神表現が多いのは日本語の特徴
で、腹が立つ、腹に据えかねる、腹が太い、腹を固める、腹が黒い、腹
を割る等々、辞書で引けば数十もの句が浮かび上がる。

「脳は腸から始まるにすぎないので、腸には従属的。腸の要求をなんと
か実現するようにしか脳は機能しない」

 この西原は、東大で解剖学・生命形態学の大御所=故三木成夫の教え
を受けた直弟子。このテーマに関心がある人は、是非、三木先生の著作
にも触れて頂きたい。 

★藤田紘一郎『脳はバカ、腸はかしこい』(三五館)
http://amzn.to/1Z1dtEl
★西原克成『内臓が生み出す心』(NHKブックス)
http://amzn.to/1NgeebZ
★三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)
http://amzn.to/1Z1dx71
『胎児の世界』(中公新書)
http://amzn.to/1Z1dA2G
『生命形態学序説』(うふすな書院)
http://amzn.to/1Z1dE2q

●脳に頼りすぎる弊害

 ずいぶん遠回りなような話をしているが、要するに、田んぼに裸足で
入った時に足裏で「気持ちいい~!」と感じるとすれば、それは大腸内
で「幸せ物質」であるセロトニンや「やる気物質」であるドーパミンが
合成されて、神経系を通じて脳に刺激が届いたということである。

 いま踏みしめている田んぼの土は何十億個という微生物の塊で、その
生命力を感じ取れるほど足裏センサーが敏感であれば、必ず大腸内に棲む
1000種類=100 兆個と言われる腸内細菌が反応を起こすということであ
る。

 どうも今どきの若い人たちは、「脳」に頼りすぎて小賢しくなって、
腹の底から湧いてくる動物的本能とか、止むに止まれぬ感情の爆発とか
に従って闇雲に行動することが少ない。ところがそれは実は、本当の意
味で脳を大事にしていることにならない。なぜなら、脳にもまた数億年
に及ぶ生物進化を反映して、

・爬虫類脳 =反射脳
・哺乳類原脳=情動脳
・新哺乳類脳=理性脳

 の3層構造になっていて(写真 http://bit.ly/1UqKKtz )、本来は
それら3つの脳がそれぞれに役割を発揮してこそ脳力が全開するのであ
るけれども、そうならずに「理性脳」ばかりを偏重して他の2つの脳を
退化させてしまっているのが、今日の文明の病である。

 米国の脳科学者=ポール・マクリーンは、理性脳の言語機能や論理的
思考に過大な期待を寄せて袋小路に陥ったのが現代であり、理性と感情
と本能の「三位一体脳」の復元によってそこから脱出すべきことを提唱
する。が、実際にどうすればそれが可能かについては語っていない。

 私に言わせれば、言語機能を持たない情動脳と反射脳を、言語機能を
持つ理性脳で考えて活性化させようとしても無理な話で、まずは足裏か
ら初めて内臓感覚を蘇らせて、そうすれば、腸から沸き起こる様々な
「心」が余り使われずに錆び付いていた2つの非言語的な脳を揺り動か
すのではないかと思う。

★ポール・D・マクリーン『三つの脳の進化』(工作舎)
http://amzn.to/1Ngeurr

●インテリジェンスの三角形

 頭がいいということはどういうことか。私は、「インテリジェンス」
を身につけることだと思っている。インテリジェンスは、さし当たりは
「知性」とか「知恵」とか訳すことができる。

 近年、安倍政権のありようを巡って「反知性主義」ということが盛ん
に言われるが、その特徴は、歴史の事実や世界の事情についての一知半
解な知識を自分の都合のいいように歪曲して憚らない論理性の欠落、周
りから見たら自分の言動がどう見えるかへの想像力の欠如にあるのでは
ないか。

 知性を持つインテリゲンツィアになろうとすれば、まさにその正反対
の確かな論理力、しなやかな想像力を鍛えなければならないが、それだ
けでは足りず、もう1つ、鋭い直感力を備える必要がある。ジャーナリ
ストに限らず、仕事をする人は誰でもこの三角形をぐるんぐるんと回転
させながら思考し、企画し、表現し、他人を動員するということをして
いるはずで、それを頭と心と体の三位一体と呼ぶこともできるだろう。
イメージ的には、上述マクリーンの理性脳と情動脳と反射脳の三位一体
と重なるのかもしれない。
(写真 http://bit.ly/1UqKKtz)

 このうち論理力は、例えば問題意識を持って読書をしたり仲間と議論
したりすることを通じて自分で鍛えることができる。

 想像力を鍛えるのは少し難しくて、私が勧めるのは、地図帳や地球儀
を眺めて見知らぬ土地の人々の暮らしに思いを馳せるとか、歴史書を繙
いて時間を超えた人間の真実に迫るとか、まずは地理的=空間的、歴史
的=時間的に自らの精神を自由に浮遊させる、時空超越の遊泳術を覚え
ることである。例えば、学校で教えられる日本歴史と日本地理について
の固定観念を数秒で転覆させて自らを解き放つには、この2枚の図を並
べて見るだけで十分だろう(写真 http://bit.ly/23huzz9 )。

 ところが直感力というのは難しくて、体で覚えるしかない。高橋源一
郎がどこかで「今の若者がクールで熱くならないのは、体を使っていな
いから。心は体が作るので、体が知らないと心は納得しない」と言って
いたが、その通りで、そのためには体ごと「本物」に接して全身で感じ
取る体感経験を積むことである。

 私がよく言うのは、「歩きながらイヤフォンでロックを聴いて『私は
ロック好き』とか言うのは止めてくれ」ということだ。その時、君は聴
覚しか用いていないじゃないか。ロックのコンサート行けば、音は大音
響で、終わってしばらくは聴覚障害に陥るほどであるけれども、それだ
けではなくて、ライトが交錯する中で身を捩ってマイク・スタンドを振
り回すプレーヤーがいて、最前列であればそのプレーヤーの汗や唾まで
飛んできてその味や臭いがしたりするし、盛り上がれば聴衆も立って踊
って隣の人と触れあったり抱き合ったりして、五感を総動員して体全体
でその世界に溶け込んでいく。それがロックというもので、いやクラシ
ックでもミュージカルでも芝居でも落語でもいいのだが、そうそう毎日
ライブに通うわけにもいかない我々が、その代償行為としてCDを聴いた
りVTR を観たりするのであるけれども、それを代償とは思わない「視聴
覚偏重」が当たり前になってしまうと、その分、触覚、嗅覚、味覚は置
き去りにされていく。五感がバランスよく働かなくなる。

 山下柚実が言うように、「豊かさを手にしたはずのこの社会で、多く
の人たちが今、悲鳴をあげている。『癒やしてほしい!』と助けを求め
ている。いったいなぜなのだろう。……自分自身の体や感覚を使って感
じる経験を、あまりにも軽視し、置き去りにしてきた私たち」が問題で
ある。

★山下柚実『〈五感〉再生へ/感覚は警告する』(岩波書店)
http://amzn.to/1NgexDH

●ジャーナリズムの方法

 直感力というのは「第六感」、ヒラメキで、これは論理力を無視する
し想像力さえも飛び越える、何やら動物的な働きである。

 しかし、これだけはハッキリしているのだが、五感がフルに活性化し
ていなければ第六感などひらめく訳がない。そこでまず、五感の中で視
と聴に比べて不当に貶められている味・触・嗅の感覚を磨くことが必要
である。

 例えば「賞味期限」表示を盲信して、それを1日でも過ぎたら捨てる
といったことを止めなければならない。人間は太古から自分の視覚・嗅
覚・味覚を動員してそれが食べていいものかどうかを判断していた訳で
あって、それをしなくなればたちまちそれらの感覚は退化する。私は、
表示を1カ月過ぎた納豆でも、半年過ぎたチーズでも、1年過ぎたうど
んでも、自分で大丈夫と判断すれば食べて、今まで一度たりともトラブ
ルに遭ったことがない。

 嗅覚は特に退化が著しく、そう言えば最近使ったこともないなあとい
う人も多いのではないか。ソムリエの田崎真也は「1日1回、何でもい
いから真剣に臭いを嗅いで香りを吸い込みなさい」と言っていた。同様
に、触覚も意識して使わなければダメで、それには裸足で土を踏むのが
たぶん早道である。

 さて、そのようにして直感力が増してきたとして、ジャーナリストの
仕事を一例とすると、現象レベルの情報(インフォメーション)の海を
泳ぎ回りながら、その中で「あれ?これは何だ」「ウン、この分析は鋭
い」「待てよ、これは何だか前に見たことがある出来事だな」「下らん
話だ」とか、瞬間的に見分けて行くのは直感力の働きである。

 そこでインフォメーションの海から釣り上げたいくつかの素材やヒン
トを、整理、比較、集合、類推、関係、優先順位づけ、鳥瞰・虫瞰等々
いろいろな操作を加えながらその問題の実体構造を1枚の絵に収まるよ
うに描き上げていくプロセスが大事で、そこでは想像力が思い切り発揮
されることになるだろう。そこを煮詰めて行った末に、「ん?この問題
の核心はここだな!」という極点に到達すると、そこを起点にしてこの
問題を語るにはどういう見出しで、どういう書き出しで、どういう順序
で論旨を組み立てるかという論理構成が決まってくる。この「核心はこ
こだ!」にたどり着いていくプロセスがインテリジェンスである。
(写真 http://bit.ly/23huzz9 )

 これは決してジャーナリスト独自の方法ではなくて、政治家にせよ経
営者にせよ市民運動のリーダーにせよ、何かしら人々に影響を与えて世
の中を動かそうとする人たちにとっては共通のインテリジェンスの技法
である。

 という訳で、田んぼに裸足で入ると、まず触覚が蘇って、五感が働き
始めるきっかけが生まれる。五感が働くと「第6感」もひらめき易くな
り、直感力が増す。その一方、足裏は内蔵と直結しているので、「内臓
感覚」が刺激される。内蔵は発生的に脳の上位にあるので、内臓脳が働
くと頭脳も元気になり、想像力も論理力も向上するのである。▲

2016/05/14(土) | 未設定 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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